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KirkwallはOrkney Islands最大の町でノルウェー語の"Kirkjuvagr"(教会のある湾)に由来する。町の歴史は11世紀のノルウェー領時代にさかのぼるがそれ以前より、Orkneyには人が多く住んでいた。古代遺跡も数多く残されている。

島という立地条件と温暖な気候で農業が盛んであったため、古くからウィスキー造りが行われている。1798年、Kirkwallを見下ろす丘の斜面に、伝説のSmuggler、Magnus Eunsonが蒸留所を建てた。1825年、それは合法化された蒸留所となり、Highland Park蒸留所として今に残る。

また、漁業も盛んで町には地元産のシーフードが食べられるレストランも多い。

Welcome to Kirkwall Kirkwall Airportは非常に小さい、沖縄の離島の空港を思わせる。

Sea Breeze 海に近い空港では、春だけど海からの風が冷たかった。

Port Kirkwall 古い港町のKirkwallはShetlandやAberdeenへ向かうフェリーの発着港でもある。

St. Magnus Cathedral 古い建物が多い町でひときわ目立つ、St. Magnus Cathedral。

12世紀前半、Orkneyは2人の伯爵、MagnusとHakonによって治められていた。彼らはいとこ同士だったが、その間には対立があり、話し合いの場はIsland of Egilsayで、2人がそれぞれ2隻の船だけを持って来て、彼らの相違を決議するために会うことになっていた。
評判のよかったMagnusは1117年4月16日、Hakonの策略によって殺害された。Hakonは従者に命じて頭を斧でたたき割らせた。そして何事もなかったようにノルウェーの教会に埋葬した。

1137年、Magnusの甥であるRognvald伯爵はここにSt Magnus Cathedralの建設を開始した。そしてその後、大聖堂から少し離れたところに、William司教とその側近たちの住居としてBishop's Palaceを建設した。

St. Magnus Cathedral Kirkwallのシンボル、St. Magnus Cathedral。何度かの修復工事はされているが、そのほとんどが1137年に建てられたそのままの姿を今に残す。その模様は赤砂岩と黄砂岩によって造られている。

St. Magnus Cathedral 1919年の復元工事の時、石造物の後ろから人の骨が発見された。その頭蓋骨はMagnusを殺害するために斧で頭を割られたといわれるのと一致する傷を持つ。Rognvald伯爵の遺骨は1800年代の建物の工事中に発見された。

St. Magnus Cathedral 1263年、当時のノルウェー王、King HakonはBattle of LargsでAlexander3世に大敗北を喫した後、Bishop's Palaceで病気療養をしていたが12月15日に死去した。その後、ノルウェーに搬送するための天候回復を待つ間、St Magnus Cathedralに埋葬された。

1468年、OrkneyはJames3世によってScotlandに併合された。1540年頃まで、KirkwallはOrkneyとShetland両方の行政上の中心地となった。
1560年代後期よりJames5世の私生児であるRobert Stewart伯爵がOrkneyを治めるようになってから、島民は暗黒の時代を迎えた。彼はひどい独裁者で島民に強制労働を強いて、反抗する者は投獄や拷問にかけた。その息子、Patrick Stewart伯爵は1607年、Earl's Palaceを建設し、Bishop's Palaceを建て替えた。

1614年、Patrickが専制政治のためにDumbarton Castleに監禁されている間、彼の息子のRobertは暴動を起こした。Earl's Palaceと近くのKirkwall Castleを強奪した。その城は暴動の最後の包囲攻撃に生き残らなかった。そしてRobertもPatrickもその後の裁判で処刑された。

Bishop's Palace Bishop's Palaceは1540年代にRobert Reid司教(Edinburgh Universityの創設者)によって全体的に建て直されている。

Earl's Palace 島民の強制労働によって造られたEarl's PalaceはPatrick Stewart伯爵の死後、17世紀頃まで司教の住居として使用されていたがその後、だんだんと荒廃していった。ちなみに彼は"Lord's Prayer"(主の祈り)を学ぶ必要があったために処刑される時期が遅らされたという。

おどかすなよな〜 Kirkwallの町はずれを歩いていると、いきなり馬が道路に顔をだした。

Scapa BayHighland Parkの高台からScapa Flowを望む。右に小さくScapa蒸留所が見えている。

Scapa Bay Scapa Flowはその位置と多くの島からなる静かな湾があるために19〜20世紀初めにかけて、海軍基地として利用されてきた。
1939年10月14日、HMS Royal Oakはドイツの潜水艦、U-47によって833名の人名と共に沈められた。
現在も7隻の戦闘鑑が残る。Scapa Flowは世界でも有数の沈船ダイビングポイントに姿を変えた。



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