Alnessの南側、Cromarty Firthに面した海岸に建つDalmore蒸留所は1839年に創設された。1867年にMackenzie一族がオーナーとなり、1960年まで一族での経営がされていた。
第一次大戦中の1917年11月、蒸留所は海軍によって接収された。Alness駅からの支線があり、港に近い、そして工場に適した建物を持っていたことがその理由だった。また当時の首相Lloyd Georgeが酒に対してよいイメージを持っていなかったことも影響しているのだろう。
蒸留所のウェアハウスは、すべての樽を近隣の3蒸留所に移した後、機雷工場に改装された。1918年の終戦までに約32,000個の機雷がDalmoreの港から搬出されている。
1920年6月、蒸留所は1919年2月の機雷爆発事故により壊された部分はそのままで返還された。他の蒸留所に移送された樽は全く失われることなく戻ってきたという。
1960年に以前から深い関係にあったWhyte & Mackayグループの一員となり、現在に至る。
オフィシャルボトルは12年をはじめ、数種類が発売されている。2002年12月には62年物のウィスキーがオークション販売された。
B817から蒸留所を望む。蒸留所の背後にはCromarty Firthが広がる。
広い敷地にほとんどの施設を揃える。19世紀末には瓶詰め施設もあったらしい。
モルトキルンは昔のままの建物が残っている。
ステンレス製のMash Tun。どこの蒸留所でもMash Tunは1基だな。
オレゴン松製のWash Backでは発酵が進んでいた。ふたを開けると炭酸ガスの流れがサーモクラインになって見ることが出来る。
非常にユニークな形、組み合わせのポットスティル。形が同じで大小2組づつ、計8基のポットスティルがある。
創業当初は1組のポットスティルだったが1874年の改装時にそれまでのものと形は同じで大きいサイズの1組を増設し、計2組のポットスティルを導入した。
当時はStill Houseも別だったという。
一番古い1874年製のスピリットスティル。ウォータージャケット付きでこの中に冷却水を流す。
1874年製のポットスティルにつく、ネームプレート。Edinburghで造られた。溶接手法が現在のものと違い、時代を感じさせる。
小型のウォッシュスティル。これは1966年の増設時のものと思われる。
大型のポットスティル。1966年の増設時に大小1組づつを増設し、現在の組み合わせとなっている。
大小の違いで味にどのような影響がでるのだろうか。
Spirit Storeでスピリッツの樽詰めを待つ。Dalmoreのシンボルマーク、Stag(雄鹿)はClan Mackenzieのシンボルマークでもある。
東側のウェアハウス。西側にはさらに大きなウェアハウスが数棟ある。
これだけ広いと工場のために接収されるのも無理はない?
厳重に施錠された扉。
広い室内には大量の樽が眠っていた。同系列のInvergordonグレーンウィスキーも熟成されていた。(右側の白い樽)
Allt-a-Bhainneの樽もあった(右奥の黄色い樽)。Whyte & Mackayのブレンド用モルト確保のためとマネージャは言っていたが、週何ペンスかで他の蒸留所の樽も預かる制度もあるとのこと。
モルトキルンは昔のままの建物が残っている。
Dalmoreは1956年にサラディンモルティングを導入している。1981年まで使用され、以後自家製麦は行われていない。
サラディンモルティング導入まではフロアモルティングが行われていたのだろう。今は板が張られているが隙間から鳩が出入りしている。
オフィスの建物。2階がマネージャルーム兼レセプション。現在は予約せずとも見学が可能。
庭にあるディスプレイ。以前は地元産の大麦とピートを使い、ポットスティルも石炭直火焚きだったようだ。
蒸留所入り口付近の原っぱには野ウサギが生息する。でもとても警戒心が強いウサギの親子だった。