Campbeltownの中心地にあるSpringbank蒸留所は1828年、Archibald Mitchellによって創業された。以後、蒸留所の操業はMitchell一族によって行われている。
多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれた暗黒の時代はSpringbank蒸留所にも影響を及ぼし、1926年には閉鎖に追い込まれたが1935年に再開され、以後は順調に操業されている。
Springbank蒸留所は現在、3種類のモルトが生産されている。中心となるのは"Springbank"で6時間ピートを焚き込み、24時間熱風で乾燥させたモルトを使用し、2回半蒸留(ローワインの一部を2回蒸留する)される。
隣接していた閉鎖蒸留所の名をつけられた"Longrow"は30時間ピートを焚き込んだモルトを使用し、2回蒸留で仕上げられる。
そしてニッカの創業者、竹鶴 政孝氏が修行していた蒸留所の名をつけられた"Hazelburn"はピートを使用せずに乾燥されたモルトを使用し、3回蒸留される。
Campbeltownではいろいろなタイプのモルトが作られていたようで蒸留所ごとに特色があった。Hazelburn蒸留所は3回蒸留していたかどうかは不明だが、Campbeltownで最大のウォッシュスティル1基と小型のスピリットスティル2基を持っていた。そのスピリットスティルのネック部分には水を通す管があり、現在のローモンドスティルの元祖のような構造だった。他にもウォッシュスティル1基とスピリットスティル2基の構成の蒸留所も多く、他にも3回蒸留されていた可能性も高い。
Springbank蒸留所はいろいろな種類の製品を発売しているにもかかわらず、その規模は小さい。そして、おそらく唯一と思われるがコンピュータ・システムが導入されていない。頑なに伝統を守り続ける蒸留所だと思う。この人達がウィスキーの生産を続ける限り、Campbeltownの灯は消えないだろう。
LongrowとGlobe Streetをつなぐ細い路地、Well CloseがSpringbank蒸留所の入り口となる。
Well Closeに面しているMalt Burnとキルンのある建物。
その向かい側には瓶詰め施設のある建物がある。Longrow蒸留所の建物をそのまま使用している。
Well Closeの向こうにはGlobe Streetの建物が見える。
大麦貯蔵庫から大麦を運び出すスタッフ。まだまだ手作業が残っている。
広いモルティングフロアは使用するすべての麦芽を作り出す。
1基しかないキルン。Alfred Barnardの著書によれば19世紀末には2基のモルトキルンがあったと記述されている。
Springbankに使用するモルトは6時間、Longrowに使用されるモルトは31時間ピートが焚き込まれる。
小さなキルンの屋根。パゴダ屋根は作られなかったようだ。
マッシュタンは小型で古そうだ。
狭い発酵棟の中には5基のウォッシュバックがある。
Campbeltownの蒸留所では大きなウォッシュスティル1基と小型のスピリットスティル2基の構成が多かった。
3基のスティルからのスピリッツをまとめるスピリットセーフ。
数棟のウェアハウスの一つは省スペース型のラックタイプ。
多くの種類の樽が保管されている。
"Longrow"や"Hazelburn"のモルトもゆっくりと熟成されている。
伝統的なウェアハウスもある。
敷地の中には多くの建物があり、通路は非常に狭い。
同一経営のCadenhead社の瓶詰めもSpringbank蒸留所で行われている。いろいろな蒸留所の空き樽が並んでいた。
Cadenhead's Whisky ShopはSpringbank蒸留所のファクトリーショップも兼ねる。サンドウィッチショップも併設されていて朝の8:00から営業している。